ころんさんのつぶやき

いつもの日常を感じるままにつぶやく。

『話す』

誰かに話すって、

 

とても大事なこと。

 

自分のことを知ってもらうため、

 

理解してもらうためには

 

話さないとなんだよな。

 

大事な事だってのはわかる。

 

だけど、

 

上辺だけの笑顔で話すのは

苦手ってわけじゃないんだけど、

 

 

すごく疲れて、嫌いなんだよね。

 

................

 

...........

 

……

 

んー、

ただ自分を理解されるのが嫌なだけなのかもしれない。

 

特別な存在になりたいとか、

そんな事は思ってるわけじゃない。

 

平凡な、普通の人になりたいと思ってるだけ。

 

けれども、その考えがすでに特別なのかも。

 

他人と自分を比較しちゃってる。

 

だから優劣を付けられる、他人と『話す』という行為が苦手ではないけれど、ただ嫌いなんだ。

 

だけど、

『話す』という行為は自分自身に、自分で理解を求めてる場合もある。

 

むしろ他人に理解を求めるより、

自分に理解を求めるためにするべきなんだ。

 

いつもではないが、

そうすることで何が苦手なのか、嫌いなのかハッキリとわかる時がある。

 

すると勝手に自分の中に他人と比較するための基準点?みたいな言葉に表せないものが見えてくる。

 

自分でもよくわからないけど、

普通を目指さなくても良いんだと思えた。

 

周りを気にしなくても良いんだと。

 

特別な存在じゃなくても、

普通の存在じゃなくても、

 

『自分』という存在になって、

生きてれば良いんだと。

『普通』

他人より優れなくてもかまわない。

 

『普通』でいいのに、

 

『普通』が良いな、

 

『普通』になりたい。

 

ただ『普通』でありたかった。

 

昔からそう思っていた。

 

社会に出たら、

自分が思っていたよりも『普通』のハードルが異様に高いように感じた。

 

生きづらい。

 

なんでこんなに生きづらいんだ?

 

ただ『普通』に生きたかっただけなのに。

 

あれ、自分って『普通』じゃなかったのか……

なんで周りは『普通』のことができて、

自分はできないのか。

 

自分は『異常』なのか?

 

・・・・

 

・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・

 

自分が『異常』ってことは、

 

周りのその他大勢は『普通』なんだよな。

 

ん?????

 

あれ???

 

ちょっと待ってくれ、

 

『普通』って言葉自体が周りの人と比較してるのか?

 

周りと比べられたくなくて、

目立ちたくなくて『普通』を目指していたのに。

 

『普通』になりたかった自分が一番

自分と周りを比較していたのかもしれない。

 

あっ、

 

『普通』って言葉は、意味がないんだ……。

『異常』って言葉も、意味がないのか……。

 

頭の中の三脚に固定されていたカメラが取り外されて、

自由に景色を撮ることができたのだ。

 

頭の中のモヤがスゥーっと晴れた気がした。

 

あくまで自分は自分で、

他人は他人なんだ。

 

まだ何をしたいのかわからないけど、

何かしたいと思えるようになった。

 

朝のコーヒーがとても澄んだ黒色をしていた。

 

 

『朝』

早朝、いつもと同じ時間。

 

散歩をした。

 

出勤する人々とは逆の方向に歩く。

 

まるで一方通行の道路を逆走しているような

 

少し罪悪感が残る気分だ。

 

社会のレールから外れることで自分が生きていることを実感する。

 

いつも飲んでいるコーヒー。

 

苦くて、ホッっとする香り。

 

今朝はいつもより苦みが体に染みる気がした。